ブログを移行
ブログを移行することに。
江成常夫「昭和史のかたち」展をみて
無計画に入った、東京都写真美術館で催されていた掲題の写真展がよかった。
終戦後に開発され尽くした東京では残っていない戦争の形跡が、東南アジア(インドネシア・パラオ・フィリピンなど)や中国、そして沖縄にはそれらが未だに残っていることを、この展覧会の写真たちは伝えてきた。
戦死者の遺骨、ゼロ戦や爆撃機の残骸、飯盒や洗面器などの旧日本兵の日用品などが未だに野ざらしにのまま放置されていたりした。
地域が違えば、時間の進む速度も変わる。東京は世界で最もその速度が速い地域の1つだろう。そしてそこにはもはや戦争の形跡は時間とともにかき消され、その結果、人々の心からも戦争の記憶が薄れていく。
でも一方で、時間の進み方が遅い地域ではいまだに形跡が消えずに、また人々の心からも消えずに残るのだ。
追伸
あと、もう一つこの展覧会をみて「面白いな」とおもったのは、汚いもの(オイルの漏れ出したあと)なども、真正面から捕らえると、そこに美を見出すことができると気付かされたこと。
真島満秀「鉄道回廊」を見て。
今日、会社の代休を利用して、真島満秀「鉄道回廊」展を訪ねた。
いい写真を撮りたければ、技術ではなく、迷いなく大好きな被写体を撮るべきだと学んだ。
今回一番印象に残った写真、パンタグラフの放つスパークの火花の一瞬を捉えた写真。
・・・本当に鉄道が好きで、ずっと観察している人にしか、思い浮かばないシーン。
「ハッ」とする写真を撮る人と僕の間で、何が違うのか、ほんの少しだけ分かった気がした、そんな展覧会でした。
また行きたいな。
http://cweb.canon.jp/s-tower/floor/1f/gallery/mashima-tetudou/index.html
今年の盆休みの唯一の収穫かもしれない。
偶然手に取った新田次郎著「アラスカ物語」を読んだ。
「孤高の人」を読んで、それが面白くて、この作家のほかの作品を読んでみようと思い、手にした作品。
この作品を読んで、私の全く知らなかった「フランク安田」という人物の存在とその人が生み出した価値を知った。そしてそれが未だにほとんどの日本人に認知されていない。
彼が、アラスカで残したもの、それを挙げると、
- アラスカエスキモーに溶け込み、アラスカエスキモーの鯨組(鯨を狩るグループ)の長になることを嘱望されるほどに狩猟の腕をあげ、そして信頼を得た。
- エスキモーの飢餓を救うために、沿岸エスキモーの内陸への移住と、移住に欠かせない、エスキモーの生活習慣の変革まで成し遂げた。
- 上記の飢餓救済の手段として、金鉱を探し当て、それで得た金を元手に移住を行った。
- エスキモーの娘ネビロと結婚し、子供を育てた。
彼のやり遂げたことが余りに多すぎてここで、簡単に列挙することができない。
この作品を読んで感じたことを列挙すると
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- この人が、たとえばゴールドラッシュで金を探すと決断したときに、どれほど悩んだだろうか。信用できるかわからない雇い主の白人と、その間で交わされた契約書を拠り所に、エスキモーの飢餓を救わねばならないという信念の元に行動する勇気は本当にすごいと思う。
- この人の生涯の密度の濃さに坂本竜馬を思い起こしてしまうのは僕だけだろうか。坂本竜馬も司馬遼太郎に取り上げられるまで、「忘れた存在だった」という。司馬遼太郎が坂本竜馬に光を再び与えたように、この新田次郎の「アラスカ物語」はフランク安田に光を与える作品だ。
- 新田次郎の作品に特徴的なのが(まだ、孤高の人とアラスカ物語しか読んでいないが・・・)、妻と夫の絆の深さを精彩に描写しているところだ。山岳を含む「極地」を題材にし続けた新田次郎が、描き出したかったのはこの「ザイル(絆)」の大切さなのかもしれない。
- 最後に忘れてはいけない事は、ジェームス・ミナノ、ジョージ大島など他の日本人の存在であり、特にジョージ・大島は、対立するインディアンとエスキモーの仲立ちに貢献し、エスキモーの内陸への移住のキーパーソンとなった。
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薄々とは「そうだろうな〜」とは思っていたが、やっとそのことを明確に書いているページを見つけた。
以下が、今回勉強になったこと。
引数なしでmakeを実行すると、makeは最初に書かれたターゲッ トを生成することを目標に動きます。
他のターゲットは、その過程で必要がなければ生成されません。
(参照:http://lagendra.s.kanazawa-u.ac.jp/ogurisu/manuals/make-intro/multifiles.html)